2012年12月24日

やはり主役は光と影/カセレス修道院(スペイン)

 カタルーニャ地方、ヴィックのパラドールで快適な宿をとったためか、今日の足どりは軽い。湖に突き出た半島、崖上の先端に立ち上がった教会が、『サント・ペレ・デ・カセレス修道院』です。ロマネスク様式の、シンプルで力強い印象の鐘楼が特徴です。アプローチが周辺の自然と一体となっていて少し長く、険しく、だからその分美しい。改修を何度もくり返し、現在の形は11世紀の完成といわれています。

 サウ・ダム湖をヴィック・サウのパラドール バルコニーから見ました。中央に小さく見えるシルエットが、湖の水量が少ない時にだけ姿を現す『サン・ロマン教会』です。
 ※ 今年はこれを以って最終とします。よい年をお迎えください。

2012年12月17日

カタルニャの伝統文化と折合って/カタルニャのロマネスク教会-2(スペイン)

カタルニャの金字塔とまで言われて讃えられる、リポイの『サンタ・マリア教会』は888年に建てられたものを起源としています。その後、周辺地域の有力者たちの支援もあって、徐々に規模の拡大がなされていきました。広場から近づくと、前門部分の巨大な彫刻群に驚きます。そして、スペインのロマネスク教会では数少ない、3身廊を持つ、大きな規模の教会です。中庭も作法どおりで、光が溢れていました。


ヴィックの町はカタルーニャで重要な司教区があるためか、全体が落ち着いた雰囲気が漂います。『ヴィック大聖堂』は18世紀に再建されたものです。7層の鐘塔を持ち、美術館も付属していました。

2012年12月10日

カタルニャの伝統文化と折合って/カタルニャのロマネスク教会-1(スペイン)

スペイン・カタルニャ地方のロマネスク教会建築は、6世紀以降の地中海沿岸とフランス伝統文化からの影響を複雑に受けて来ました。現在、カタルニャには多くのロマネスク教会があって、それらは教会本体の他、祭壇まわりの彫刻、壁画、なども含めて地域の宗教遺産の現役として生かされています。

バルセロナから北へ約100㎞で、レスタニーの町です。『サンタ・マリア・デ・レスタニー教会』は12世紀から15世紀まで改修、修理を重ねて現在の姿があります。何度も手が加えられながら、外観の均整が失われていないことには驚くほどです。中庭を囲む回廊の柱頭に付いた彫刻は幾つもの時代を映して混在し、興味深く見ることができます。


ここはなんと清々しい風景なのでしょう。空気が、光が、山までも。『サン・ジャウメ・デ・フロンタニャ教区教会堂』 があるフロンタニャの、集落の住人はわずか5人。そのため村長が教会の堂主を兼ねているんだとか。静寂が身体中にしみわたります。教会の外観では、十二角形の採光塔が特徴です。三つの後陣を持つ、簡素な造りが、「ロマネスクはこうでなくちゃ」という気持ちを抱かせられます。

2012年12月9日

古代ローマの歴史があった/メリダの円形劇場他(スペイン)

 マドリッドから街道”銀の道”を走って300キロ余、周辺の味気のない風景に飽きた頃メリダの町に迎えられます。まるで小さなローマのような趣の町です。『古代ローマ円形闘技場』と『古代ローマ劇場』は同じ敷地にあって、見る者には都合がいいものです。2つの建造物は、いずれも紀元前1世紀に建設されています。高度な土木建設技術と削り出された石材をもって、2000年前が語りかけてきます。
 「円形劇場」の向かいには『国立古代ローマ博物館』(1986)があります。設計はR.モネオ(1937~)です。近隣の遺跡群からの出土品がゆったりと展示されています。館内は、大きく幾重にも重なるアーチが吹き抜けの展示空間を支えて圧倒的。密度のある煉瓦が、壁仕上げのほとんどを占めているのも特徴です。しかし、それが多用され過ぎていて、古代の歴史から離れていってしまうような感じに陥りました。おもしろかったのは、地階の展示室です。うす暗い空間のなかに、遺跡の発掘現場が静かに眠るように保存されています。歴史好きのむきには嬉しくなる場でしょう。

2012年12月7日

閉じ込められた闇/ロンシャン巡礼教会堂(フランス)

 ここはフランスの東部、マリア信仰の厚い巡礼地です。幹線道路を車で走り、『ロンシャン巡礼教会堂』(1955)に近づくにつれて遠く丘の上に、ポツンと白く現れ、いやが上にも期待が高まります。周囲の芝生から立ち上がる、粗い打ち放し面に塗装された壁と、空に浮く屋根は思っていた以上に大きく迫ってきます。その自由で彫塑的な形は、見る位置を変える都度、新鮮な表情で表れます。内部は暗い! 祈ることだけの空間だとしても本当に暗い。ぶ厚い壁に穿たれた大小いくつもの開口は、色とりどりの光りが射し込み量感を強調して、暗さのなかに千金の重みをもつかのようです。奔放な表現と構造を持ったこの教会堂は、画家にもなりたかった建築家ル・コルビュジエ(1887~1965)の金字塔だ、と断言できます。