建築家G.テラーニ(1904~1943)は、ファシスト党本部である『カサ・デル・ファッショ(ファシズムの家の意)』を、1936年に北イタリア湖水地方の中心都市、コモに完成させています。イアリア合理主義建築とインタ-ナショナル建築との間で、苦悩しただろう様子が窺える建物です。内部ホールと外部広場を隔てる、水平に並んだ16枚ものガラス扉の前に立ってみて、当時の体制と民衆のことを思わずにはいられませんでした。単純なフォルムながら、グリッドと白い大理石の壁面が純粋な比例で構成されています。コルビュジエも一目置いたといいますが、テラーニの生涯までも凝縮されているような作品に思えました。
『サンテリア幼稚園』(1937)ではカサ・デル・ファッショの厳格な構成を脱ぎ捨て、別のアプローチを見せています。テラーニの才能が光る秀作です。
『ノヴォコムン集合住宅』(1929)はイタリア合理主義の流れの中にある建築といえますが、テラーニは政治体制による妨害を越えようとして、幾度も手を加えたといいます。
『ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅』(1940)はテラーニ最後の作品です。平面、立面共に構成が複雑で、政治体制のプロパガンダから完全に解放されて、自由が感じられます。
※このあと、神経を病んだテラーニはムッソリーニ失脚の直前、ファシズムの責任をとって殉死したのです。
美しいコモ湖を背にして建つのは『戦没者慰霊碑』(1933)です。様々な意味で少し”重たい”気分に‥‥。
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