建築を旅して~写真
私が海外、国内の旅で出会い、触れて感じた数多くの建物や街並みをごらんください。
2015年3月13日
2015年3月10日
2013年1月28日
民族の遺産もメキシコはメキシコらしく多様性で(メキシコ)
J.オゴルマン(1905~1982)が設計した『ディエゴとフリーダのための家』(1932)では、コルビュジエの影響が見え隠れしますが、そのことを認めた上でも訪れてみて心が躍る作品です。建主は売れっこの画家夫妻です。居住部分とそれぞれのアトリエも兼ね備わっていて、快適な生活が‥‥と考えますが、彼らがこの家で生活したのは数年だけだったようです。なんとも勿体ない!
『メキシコ国立大学中央図書館』(1953)は、同じくJ.オゴルマンの設計です。独立後の複雑な政治的理由との関わり、そして支援にも恵まれて実現しました。「ディエゴとフリーダの家」から20年が経過しています。デザインは、オゴルマンの宗旨替えと思える方向転換です。彼の苦悩が、そのまま表れているようにも見える、外壁4面を覆うモザイク壁画なのでした。
メキシコの近代には、あと一人重要な建築家がいました。F.キャンデラ(1910~1997)その人です。”構造即造形”で見る者に迫ってきます。HPシェルを駆使した『バカルディ社ビン詰め工場』(1959)と『サンタ・モニカ教会』(1960)を見て、究極の構造美を堪能できることを約束します。
メキシコ・シティから約50㎞、紀元前1世紀に栄えた古代都市『テオティワカン』まで足を延ばしました。「太陽」「月」と名付けられた2つのピラミッドに登ったのですが、なにせ2000m超の高地からさらに上方、息が切れます。
2013年1月21日
官能的な色彩の向こうに見えるもの/バラガン建築(メキシコ)
メキシコは遠い。日本との時差は15時間。名物の渋滞とスモッグは健在です。この国のグアガラハダに建築家 L.バラガン(1902~1988)は生まれています。彼の建築の特徴は、土着的なものを内包しながら、静かさと、光と色とで組み立てられて、さらに輝きを保っていることでしょうか。さて見学を・・・・となるところですが、ここは財団なるものによって厳しく管理がされています。特に内部の写真撮影がご法度であるのは共通でした。
というわけで、以下の作品の内、私の写真で見てもらえるのはごく一部となってしまいました。
バラガン建築の内部、外部を問わず、必ず見られるブーゲンビリアのピンク色。
『トゥラルパンの礼拝堂』(1960)はバラガン建築の中で、最も精神性が横溢した宗教建築。礼拝堂は息をのむ美しさ。
『サンクリストーバルの厩舎』(1968)は延びやかで圧倒的なダイナリズム。
『ヒラルディ邸』(1977)は室内の食事室にプールが!中央の赤い柱が光に浮かぶ。バラガンが遺した最後の”宝石”。
『バラガン自邸』(1948)は平面に、断面に各部のプロポーションが緻密に検討されていて立ち去りがたいほどの魅力に溢れていました。一見質素と思えた庭も、建物とのバランスが秀逸でした。
『サテライト・シティ・タワー』(1957)はハイウェイの中洲に建つランドマークタワー。打放しコンクリートが乱暴といえるほど粗雑だったことが、良い結果につながったた一例に思えます。タワーの大きさ、間隔が絶妙でもありました。
友人の彫刻家、M.ゲーリッツとのコラボレーションといわれます。しかし二人はデザインの主導権争いで決裂し、二度と友情が戻ることはなかったそうです。
エル・ペドレガルの街角で見た、不思議な彫刻。これは M.ゲーリッツの作品です。
というわけで、以下の作品の内、私の写真で見てもらえるのはごく一部となってしまいました。
バラガン建築の内部、外部を問わず、必ず見られるブーゲンビリアのピンク色。
『トゥラルパンの礼拝堂』(1960)はバラガン建築の中で、最も精神性が横溢した宗教建築。礼拝堂は息をのむ美しさ。
『サンクリストーバルの厩舎』(1968)は延びやかで圧倒的なダイナリズム。
『ヒラルディ邸』(1977)は室内の食事室にプールが!中央の赤い柱が光に浮かぶ。バラガンが遺した最後の”宝石”。
『バラガン自邸』(1948)は平面に、断面に各部のプロポーションが緻密に検討されていて立ち去りがたいほどの魅力に溢れていました。一見質素と思えた庭も、建物とのバランスが秀逸でした。
『サテライト・シティ・タワー』(1957)はハイウェイの中洲に建つランドマークタワー。打放しコンクリートが乱暴といえるほど粗雑だったことが、良い結果につながったた一例に思えます。タワーの大きさ、間隔が絶妙でもありました。
友人の彫刻家、M.ゲーリッツとのコラボレーションといわれます。しかし二人はデザインの主導権争いで決裂し、二度と友情が戻ることはなかったそうです。
エル・ペドレガルの街角で見た、不思議な彫刻。これは M.ゲーリッツの作品です。
2012年12月24日
やはり主役は光と影/カセレス修道院(スペイン)
サウ・ダム湖をヴィック・サウのパラドール バルコニーから見ました。中央に小さく見えるシルエットが、湖の水量が少ない時にだけ姿を現す『サン・ロマン教会』です。
※ 今年はこれを以って最終とします。よい年をお迎えください。
2012年12月17日
カタルニャの伝統文化と折合って/カタルニャのロマネスク教会-2(スペイン)
カタルニャの金字塔とまで言われて讃えられる、リポイの『サンタ・マリア教会』は888年に建てられたものを起源としています。その後、周辺地域の有力者たちの支援もあって、徐々に規模の拡大がなされていきました。広場から近づくと、前門部分の巨大な彫刻群に驚きます。そして、スペインのロマネスク教会では数少ない、3身廊を持つ、大きな規模の教会です。中庭も作法どおりで、光が溢れていました。
ヴィックの町はカタルーニャで重要な司教区があるためか、全体が落ち着いた雰囲気が漂います。『ヴィック大聖堂』は18世紀に再建されたものです。7層の鐘塔を持ち、美術館も付属していました。
2012年12月10日
カタルニャの伝統文化と折合って/カタルニャのロマネスク教会-1(スペイン)
スペイン・カタルニャ地方のロマネスク教会建築は、6世紀以降の地中海沿岸とフランス伝統文化からの影響を複雑に受けて来ました。現在、カタルニャには多くのロマネスク教会があって、それらは教会本体の他、祭壇まわりの彫刻、壁画、なども含めて地域の宗教遺産の現役として生かされています。
バルセロナから北へ約100㎞で、レスタニーの町です。『サンタ・マリア・デ・レスタニー教会』は12世紀から15世紀まで改修、修理を重ねて現在の姿があります。何度も手が加えられながら、外観の均整が失われていないことには驚くほどです。中庭を囲む回廊の柱頭に付いた彫刻は幾つもの時代を映して混在し、興味深く見ることができます。
ここはなんと清々しい風景なのでしょう。空気が、光が、山までも。『サン・ジャウメ・デ・フロンタニャ教区教会堂』 があるフロンタニャの、集落の住人はわずか5人。そのため村長が教会の堂主を兼ねているんだとか。静寂が身体中にしみわたります。教会の外観では、十二角形の採光塔が特徴です。三つの後陣を持つ、簡素な造りが、「ロマネスクはこうでなくちゃ」という気持ちを抱かせられます。
バルセロナから北へ約100㎞で、レスタニーの町です。『サンタ・マリア・デ・レスタニー教会』は12世紀から15世紀まで改修、修理を重ねて現在の姿があります。何度も手が加えられながら、外観の均整が失われていないことには驚くほどです。中庭を囲む回廊の柱頭に付いた彫刻は幾つもの時代を映して混在し、興味深く見ることができます。
ここはなんと清々しい風景なのでしょう。空気が、光が、山までも。『サン・ジャウメ・デ・フロンタニャ教区教会堂』 があるフロンタニャの、集落の住人はわずか5人。そのため村長が教会の堂主を兼ねているんだとか。静寂が身体中にしみわたります。教会の外観では、十二角形の採光塔が特徴です。三つの後陣を持つ、簡素な造りが、「ロマネスクはこうでなくちゃ」という気持ちを抱かせられます。
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