2011年5月30日

往時の姿に癒される/ペドラサ(スペイン)

 スペイン中央部、マドリードの北約100キロですから車で2時間ほど、小高い丘の上に城塞で囲まれた町、『ペドラサ』。唯一ある城門をくぐると、そこは中世の町が出現します。人口が120人ほどで、ホテルやレストラン、土産物店なども数軒程度の小さな小さな町です。それらの店をのぞきながら巡っていて、とても心地が良いのです。その訳の一つは、路地幅と両側の建物の高さの関係が絶妙なのだということに気が付きます。(スウェーデン、ストックホルムのガムラ・スタンもこのようでした。)ホテルの質の高いサービスと食事も思い出です。

2011年5月26日

カタルニャの叫びが聞こえる/サグラダ・ファミリア教会(スペイン)

 建築家 A.ガウディ(1852~1926)育ての地、スペイン東北部 カタルニャ地方の中心都市、バルセロナ。ここに魂の空間とよぶべき、巨大な聖堂『サグラダ・ファミリア教会』(1883~)が聳えたっています。見上げると、何本もの塔が上空から吊り下がっているように見えます。聖堂が地上に根を張り現在も成長を続けることが、神の啓示によるもののように。ガウディは、3世紀にもわたったゴシック様式を、「死んだ」と切捨て。その上で、この大空間を成立させるために、前に立ちはだかる多くの難しい問題を解決したといいます。傾き曲げられた支柱の上に、放物曲線のアーチの連続を眼の前にすると、貧者(ガウディも)の栄光ある死を尊く思われるのでした。
 追記:『サグラダ・ファミリア教会』は途方もない大きさと精緻さ、底知れない拡がりと深さを表現してガウディ没後85年、着工後125年を超えました。現在も工事は続いていることに、思います。魂の叫びはそのままに、工事の継続をどこかで終わりにしてはどうでしょうか。未完のままの様子で、充分尊いと思えるのですが‥‥。ガウディはもういません。彼が遺した当時の図面(スケッチ)や模型には限りがあるはずです。後世の人たちの解釈や予想による「増築」には危険さえ感じてしまいます。

2011年5月16日

ガラスの艦船/ファン・ネレの工場(オランダ)

 『ファン・ネレの工場』の設計はブリンクマン&V.D.フルーフト。場所はロッテルダム、1930年の完成です。ファサードに大面積のガラスのカーテンウォールを採用した工場からは、4本のスカイウォークが倉庫に向かって伸びます。8層の本体棟の上には、船のデッキを思わせる円形のペントハウスが載っていて、当時の機能主義の凄さを感じることができます。  しかしここ、寒くネ?
※ 7番目の写真は、運河を挟んで明るい色彩で向かい合う、「デ・スヒー刑務所」をファン・ネレ工場の上階から撮りました。

2011年5月9日

石の匂い、風の匂い/アルテピアッツァ美唄(北海道)

 ここ『アルテピアッツア美唄』を訪れる度にホッとします。あたたかで、静かで、のびやかで、風景と一緒に優しい気持ちになれる美術館。心に響きます。昔、炭坑で栄えた美唄市に1991年にオープンしました。地元出身の彫刻家、安田侃(1945~)の作品だけが常設展示されています。緑の広場と、廃校になった小学校の体育館と教室、森の中の小径もギャラリーです。石とブロンズの彫刻の配置が作家本人によって、巧みに計られています。いまアルテピアッツァ美唄を訪れた人達の心のなかに合言葉が生まれています・・・・「また来ます」。

2011年5月2日

スカルパも眠る墓地/ブリオン・ヴェガ墓地(イタリア)

 『ブリオン・ヴェガ墓地』は、 C.スカルパ(1906~78)にとっては珍しく、新規の独立した建築の仕事です。北イタリア・トレヴィーゾ近郊、糸杉の並木道からアプローチすると、壁をくり抜いた双子リングの開口が正面に迎えてくれます。ヴェネツィアがスカルパを生んだとまで言われています。地域の金属加工、左官、木材加工の技法など、優れた職人の技術がここにも生きているため、ディテールがヘナヘナしていません。コンクリートには、ギザギザの装飾がこれでもかこれでもかと現れ、変化する光を柔らかく砕いています。仙台で客死したスカルパの遺作になりました。

 

 同じ墓地の片隅にそっとある C.スカルパ自身の墓は、息子トビア・スカルパの設計によるものです。