2013年1月28日

民族の遺産もメキシコはメキシコらしく多様性で(メキシコ)

 J.オゴルマン(1905~1982)が設計した『ディエゴとフリーダのための家』(1932)では、コルビュジエの影響が見え隠れしますが、そのことを認めた上でも訪れてみて心が躍る作品です。建主は売れっこの画家夫妻です。居住部分とそれぞれのアトリエも兼ね備わっていて、快適な生活が‥‥と考えますが、彼らがこの家で生活したのは数年だけだったようです。なんとも勿体ない!
 『メキシコ国立大学中央図書館』(1953)は、同じくJ.オゴルマンの設計です。独立後の複雑な政治的理由との関わり、そして支援にも恵まれて実現しました。「ディエゴとフリーダの家」から20年が経過しています。デザインは、オゴルマンの宗旨替えと思える方向転換です。彼の苦悩が、そのまま表れているようにも見える、外壁4面を覆うモザイク壁画なのでした。
 メキシコの近代には、あと一人重要な建築家がいました。F.キャンデラ(1910~1997)その人です。”構造即造形”で見る者に迫ってきます。HPシェルを駆使した『バカルディ社ビン詰め工場』(1959)と『サンタ・モニカ教会』(1960)を見て、究極の構造美を堪能できることを約束します。

 メキシコ・シティから約50㎞、紀元前1世紀に栄えた古代都市『テオティワカン』まで足を延ばしました。「太陽」「月」と名付けられた2つのピラミッドに登ったのですが、なにせ2000m超の高地からさらに上方、息が切れます。          

2013年1月21日

官能的な色彩の向こうに見えるもの/バラガン建築(メキシコ)

 メキシコは遠い。日本との時差は15時間。名物の渋滞とスモッグは健在です。この国のグアガラハダに建築家 L.バラガン(1902~1988)は生まれています。彼の建築の特徴は、土着的なものを内包しながら、静かさと、光と色とで組み立てられて、さらに輝きを保っていることでしょうか。さて見学を・・・・となるところですが、ここは財団なるものによって厳しく管理がされています。特に内部の写真撮影がご法度であるのは共通でした。 
というわけで、以下の作品の内、私の写真で見てもらえるのはごく一部となってしまいました


 バラガン建築の内部、外部を問わず、必ず見られるブーゲンビリアのピンク色。


 『トゥラルパンの礼拝堂』(1960)はバラガン建築の中で、最も精神性が横溢した宗教建築。礼拝堂は息をのむ美しさ。


 『サンクリストーバルの厩舎』(1968)は延びやかで圧倒的なダイナリズム。


 『ヒラルディ邸』(1977)は室内の食事室にプールが!中央の赤い柱が光に浮かぶ。バラガンが遺した最後の”宝石”。


 『バラガン自邸』(1948)は平面に、断面に各部のプロポーションが緻密に検討されていて立ち去りがたいほどの魅力に溢れていました。一見質素と思えた庭も、建物とのバランスが秀逸でした。


 『サテライト・シティ・タワー』(1957)はハイウェイの中洲に建つランドマークタワー。打放しコンクリートが乱暴といえるほど粗雑だったことが、良い結果につながったた一例に思えます。タワーの大きさ、間隔が絶妙でもありました。
 友人の彫刻家、M.ゲーリッツとのコラボレーションといわれます。しかし二人はデザインの主導権争いで決裂し、二度と友情が戻ることはなかったそうです。


 エル・ペドレガルの街角で見た、不思議な彫刻。これは M.ゲーリッツの作品です。