2011年6月27日

過去(ホロコースト)の記憶を今も/ユダヤ博物館(ドイツ)

 D.リベスキンド(1946~)によるベルリンにある『ユダヤ博物館』(1998)は、大戦後のドイツでユダヤ人の歴史が、今でも解決していない問題を展示のテーマにしています。リベスキンドは以前、インスタレーションである「ライン・オブ・ファイヤー」を発表していました。この建築はそれをベースにしたと推察できます。全体を細長く折りたたんで屈折させた形態が絡み合って、実に複雑で密度のある空間が展開されていました。評価されるべき、問題作です。

2011年6月20日

時代(ファシズム)とシンクロした?/カサ・デル・ファッショ他(イタリア)

 建築家G.テラーニ(1904~1943)は、ファシスト党本部である『カサ・デル・ファッショ(ファシズムの家の意)』を、1936年に北イタリア湖水地方の中心都市、コモに完成させています。イアリア合理主義建築とインタ-ナショナル建築との間で、苦悩しただろう様子が窺える建物です。内部ホールと外部広場を隔てる、水平に並んだ16枚ものガラス扉の前に立ってみて、当時の体制と民衆のことを思わずにはいられませんでした。単純なフォルムながら、グリッドと白い大理石の壁面が純粋な比例で構成されています。コルビュジエも一目置いたといいますが、テラーニの生涯までも凝縮されているような作品に思えました。

 『サンテリア幼稚園』(1937)ではカサ・デル・ファッショの厳格な構成を脱ぎ捨て、別のアプローチを見せています。テラーニの才能が光る秀作です。

 『ノヴォコムン集合住宅』(1929)はイタリア合理主義の流れの中にある建築といえますが、テラーニは政治体制による妨害を越えようとして、幾度も手を加えたといいます。

 『ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅』(1940)はテラーニ最後の作品です。平面、立面共に構成が複雑で、政治体制のプロパガンダから完全に解放されて、自由が感じられます。
※このあと、神経を病んだテラーニはムッソリーニ失脚の直前、ファシズムの責任をとって殉死したのです。

 美しいコモ湖を背にして建つのは『戦没者慰霊碑』(1933)です。様々な意味で少し”重たい”気分に‥‥。

2011年6月13日

あ、あっ、これは何だ ! ? ・・・/豊島美術館(香川県)

 『豊島美術館』(2010)は、豊島再生のシンボルとして、瀬戸内海を背景に豊かに広がる棚田の風景のなかに生まれていました。訪問はオープン(10/10/17)直後のことです。予備知識を持たずに訪れて、驚きはすぐに。長いアプローチから小さな入り口をくぐって見えた光景は、内部が空っぽの空間だけなのです。アート作品は?‥‥床に。そこかしこに4、5mmほどの水滴がツツーッと動いているではないですか!!  それらが生まれては消える。あとは、コンクリートシェルの天井に2か所の開口があるだけ‥‥。西沢立衛(1966~)の設計と内藤礼(1961~)のアートの協働が冴えわたっています。鹿島建設の技術力にも脱帽です。

2011年6月6日

雨も優しい村/ラ・アルベルカ(スペイン)

 スペインの中西部、サラマンカから南西に約100キロ、『ラ・アルベルカ村』はフランシア山脈の麓にあります。17世紀から修復を重ねながらきた、人口が900人にも満たない小さな村の出現です。雨の多い地帯で、この日もやはり雨。広場に面した家々には、エンタシスの石柱で支えられたアーケードが備わっています。壁は、土、漆喰、石などが使い分けられ、豊かな表情を見せてくれます。立ち寄ったバルは、地元の中高年の人達の巣!会話が弾んでいて、平和な空気が辺りに流れていたものです。